Councering with Kondoing??
本日は『こんまり流お片付けで人生はときめくのか検証してみた』です。
introduction: こんまりメソッドってときめくの?
巷で話題のこんまりメソッド。
人生がときめくお片付けの本を出版してだいぶ経ちましたが、一周回って今、海外で熱いんだとか。片付けて、笑って、涙して。ユーチューブの動画で紹介されている様子はお片付けを超えて、すでにカウンセリングの域です。片付けのことをkondoingとか言うのですって。
一定数の人がそういうのなら、何かしら心理的効果があるかもしれません。
そんなわけで、今回はこんまりメソッドでお片付けすること、実際に人生がときめくのかどうかの検証をしてみたいと思います。
あわよくばカウンセリングにも応用できるんじゃないかと、下心もあるわけです。
今回は検証と言うことで、エセ論文風に進めてまいります。
語句の定義:ときめくとは
さて、論文といえば、最初に語句の定義でございます。ということは、「ときめく」の定義をしなければいけません。国語辞典によりますと、ときめくとは喜び期待などでワクワクすること。はいはい。
また、実験期間ですが、人生と言うとあまりに長いスパンです。こんまりメソッドの動画を見てますと、多くの方が掃除をする過程で、思い出を語ったり、ものに感謝をしたりして、心を整理している。スッキリする。この過程にポイントがあると思うのです。
そこで今回はこの片付けの過程における気持ちの変化を観察していこうと思います。
仮説
目的本研究の目的はこんまりメソッドの心理的効果とその仕組みについてあーでもないこーでもないと考えてみることです。要は本当にときめくのか知りたい。
仮説は「お片付けの過程で思い出に感謝したり、ときめくものだけを残すことで、何かしらの効果(達成感や満足感)が得られる」と考えます。
方法 method
N=1(1事例)。自宅の部屋をこんまりメソッドでときめくものだけを残して片付けていきます。気持ちの変化を記録。
さあ、…本当に人生ときめくのか?
結果 result
ざっくりとこちらがビフォー…
あー、お恥ずかしい。あまりに汚いので、白黒にしました。変わりませんね(汗)
あんまり、見ないで!
言い訳をさせてもらうと(汗)我が家には小猿のような、常に物をひっかき回して、散らかして、癇癪をおこす、こだわりの強い……元気な子どもたちと
物を探して使ったら、その場に置きっぱなしにする、ものをなくす天才の、夫が生息しています。
手前のは当然、子猿ちゃんたちのオモチャです。
奥にあるのは洗濯物。
畳んだはいいが、しまう暇がなくて、放置している間に雪崩が発生している模様。
机の上は仕事関係の書籍。そこになんか書類…?必要なものが手に取れるようになってます。
まずは感情のベースラインを測定します。
お片付け前の、この部屋に入る時の最初の気持ちです。
歩きづらいなー。
痛!!また何か踏んだ!💢
煩わしい!自由になれない!
と言った、イライラや不自由感、閉塞感などが湧きます。
では早速お片付けをしていきましょう!!
オモチャを箱に入れて、不要なものは捨てて。
ここまでは普通のお片付けです。
ここから、こんまり流。
ときめかない服や物を捨てていきます
ここで新たな問題発生。
………ときめかないってなんぞや。
実際は、あんまり「ときめき」とか無く、
うーーん、必要ないけど、いつか使うかも…的な感じがするのです。
困りました。
「ときめき」をなんとか測定し、取捨選択に使わなければ、実験が進みません。
そこで、ときめき確認。
手に取るだけだと感情がニュートラルなので、一度、鏡で当ててみて、この服を着て出かけたいなと思ったら残す。
例えば、昔仕事用に購入したスカート。
スーツだけじゃ味気ないからと、スカートなんかも買っていたんですけど、これがちっともときめかない。鏡で見ても、履いて出かけたいと思わない。
もったいない……と思ったのですが、過去の仕事では大変お世話になりました、とお礼を言い、思い切って捨てました。
この辺でかなり疲労してきます。いちいち判断するのに、情動が伴うので、精神的にも疲れるのです。かなり体力が奪われてきました。また、どこまで続くんだろうと言う、途方に暮れる感じもしてきます。
途中経過はこちら
だいぶ片付きました。
まだ机やタンスの上が汚いので、棚卸し。古くなったマニキュアや化粧品、使わなくなった昔の携帯、あとイヤホンとか、アクセサリーとかたくさん見つかりました。
不思議なことに昔は生活するにはこれらが絶対必要と思っていましたが、今は全くときめきません。アクセサリーも、胸元が寂しくないようにって、昔はそう思って付けていましたが、今は、そのまんま(笑)。寂しくても、そのままでいいと思える。
この考えの違いにも少し驚きました。ファッション雑誌を見て、一生懸命まねていた頃の自分。どう見られるか気にしなくなった今。そこで、昔の自分にも感謝して、捨てて。今の自分を受け入れる。
この作業…結構大変。
もういいかな……。
で、最終形態がコチラ。
やったーー!床が、床が見えたー!!
まきびしのように仕込まれてるブロックを気にせず歩けるって快適!!
……じゃ、なくて、気持ちのほうがどうなったか。
うーーーーん。それが、
ちょっと微妙。
まずは疲労感。
体力的にも、それから精神的にもかなり疲れました。
これは当たり前なんですけれど、引っ張り出して捨てる。かなりの労働です。それに一つ一つのものに、判断をしていく。迷いながら決断するというのがかなりの精神的負荷がかかります。
一気に全部やるのは、キツイ方もいるかな。私もキツかった。
そして、何か落ち着かない。
ん?!そう。落ち着かない。
逆に、煩わしいけど物がたくさんある方が落ち着く。
あれ?へんだな。
もっと、スッキリ!!人生が輝く!的な結果を予想してましたが。
仮説と違う。
なんでしょう?
考察 discussion
まず考えられるのは、いきなり環境が変わったことによる不安感です。慣れないですからね。
次に考えられるのが、モノに囲まれるって、ある意味、防衛に近いのかもということ。
防衛とは…いろいろあるんですけど、無意識的に心を守る作用のことです。
例えば、
抑圧 考えると苦しいので、無意識に閉じ込めて忘れる。あったことをすっかり忘れて生活する。
行動化 アルコールなどの依存対象によって満たし、忘れようとする。
この、アルコールや食べ物で自分を満たす行動にほんの少し似ています。もちろん、病的な範囲ではないですが。捨てずにとっておくことで、安心を得たり、たくさんあることで、注意を分散させ、問題について考えずに済ませている。
「痛い!もー、誰よ?ここにブロック置いたの!」って言ってるほうが、片付けに取り組むより楽ですからね。片付けることは、深く突っ込むと、こだわりの強い我が子と自分との関係に向きあうことにもなります。心のどこかでは、それは、結構しんどい!と。
さらに、沢山の物で埋まっていると安心する、満たされる。保護されている気分になります。物が一種の鎧のような役割をしている気がします。
で、
逆にものを捨てるというのはそういった自分を守るもの、保護するものを取り除いても自分の力で生きていけるという自分の本来の力を自覚する作業過程になり得るかもしれないわけです。
これは、例えば、箱庭療法が治療的なのと似ています。
会話でも扱うことのできない、無意識な思い込みや恐怖。これを箱庭に物を置いていく過程で間接的に、自分の中で整理し、解消していく。
もちろん、そんなに簡単なものではないけど、そういう過程が癒やしや成長につながると言われています。
確かに、捨てるときには自分の中で葛藤があり、それと対峙して、自分で決断をしていくんです。
例えば先程話した仕事着の話では、
これ…無くても生きていける。
けど…ないと不便かな…華やかじゃなくなるし…
うんん、大丈夫、無くても生きていける。地味な自分だっていい。
無くても生きていく!
という決断をする。
その一つ一つの過程が
間接的に
[私は大丈夫]
というメッセージを自分で自分に送る作業になり、心理療法的に作用するかもしれなのです。
まとめ
作業後は疲労感や落ち着きのなさを感じることもある。
作業過程がとても大切。
間接的に自分を見つめるワークになるかも。今までの思い込みや恐怖や不安を捨てたり手放す効果があるかもしれない。
■注意点■
体力も精神的な労力もかかる。やりたいけど、辛い!って方は、今日はここだけ!と範囲を決めるなどした方が良い。
やってみて…
なんか、過去の自分に感謝をし、受け入れることで、今の自分を受け入れる作業であったな…と。
「この考えはもう手放していい。私はこの方向で生きる。」と、少しですが、より自分らしく生きる方向に考え方が整理された気がします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
オフィスみどりの
ココナラでまったり活動中。
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